- WATASHI -
toricoと私
子供の頃、私はブスで太っているから、オシャレなんて絶対してはいけないと思ってた。
クラスで目立つような可愛い女の子達とは、自分は違う種類の生き物だと思っていた。
もちろん、かわいい服やオシャレなものを見ると、心がときめいたし、特にビビットな色の組み合わせやワクワクするような柄を見ると、心が踊った。
でもそれは、私のためにあるのではなく、私とは違う種類の人間のために存在するものだと思っていたから、それを私が欲するなんて罪深いことだと思っていたし、ちょっとでも「可愛くなりたい」となんて思ったら…いや、そんな気持ちがあるってだけでも周りに知られたら、恥ずかしくて生きていけない。そう思っていた。
私は幼少期から目が悪く、3歳ごろからかなり分厚いメガネをかけていた。
さらに、10歳ごろはぽっちゃりもしていた。
テレビや雑誌で見る、いわゆる“かわいい”女の子というのは、すらっと細くて、スタイルが良く足が長い。メガネはかけておらず、目が大きくてまつ毛が長かった。
世間で“良し”とされる見本に比べて、自分はダメな存在だと思っていた。
自分も、あんな風に生まれたらよかったのに。
何度そう思ったことだろう。
大きくになってから、メガネはかけなくなり、
その頃よりは痩せたけれど、自分の容姿に自信を持てるところなんて1ミリもなかった。
親や周りから「可愛いよ」と褒められることがあったとしても
どうせ、思ってないくせに。
自分にかけられた褒め言葉なんて全部、嘘。そう思って生きてきた。
それなりに、オシャレもしてみようと思った時期もあった。しかし、流行りの服や、みんなが可愛いというものを、思ってもいないのに「そうだね」と言って着てみるだけで精一杯だった。
恋をしても、男性が自分のことを好きになってくれるわけないと思い込んでいたし、
いやいや、希望を持って頑張ってみようかな?と思っても
「どうせ私なんて、可愛くないんだから、振られるに決まってる。」
傷つくだけだよ。そう言い聞かせ、自分で自分を諦めさせた。
そんな私でも、なんとか結婚もできたが、ずっと自分に自信がないままコミュニケーションをしていたので、うまくいかなかった。
結局、現在離婚して今に至る。
それから数年経ち、仕事を頑張ったり、子育てをする中で、自分とたくさん向き合い、ようやく自分自身に少しずつ少しずつ、自信が持てるようになりつつあった。
自分の心の声に、丁寧に耳を傾けると
ほんとうの私はカミングアウトした。
本当は、美容やオシャレを、してみたかった。
服は流行りの形やみんながきている色ではなくて、ありきたりじゃ物足りない。人と違ったものが好きだった。
そう気づいて、思い切って
自分が好きな服を身に纏ってみた。が、意外にも、何も言われなかった。それどころか、
「あなたらしいね!」と称賛された。
そうか。
違ってていいのだ。
違っててカッコイイのだ。
私は、私が好きなものを
身に纏って、
そのスタイルを
かっこいい、可愛いと思って良いんだ!
心からそう思えた時、
私の中に生きてる“わたしというアート”が一気に弾けた。
私に足りなかったのは
自分への自信で、
堂々と人と違うものを「好き」と言い
自分のスタイルを貫くこと---
それこそが、私の見つけた
オシャレの定義だった。